「百塔の街」チェコの首都プラハの街並みが美しすぎる【旅行記】
第5話 プラハの街で確かに生きた、数日間の記憶
こんにちは!!
オーストリアのハルシュタットという湖の素敵な街から、チェコのチェスキークルムロフという小さな洒落た街を経由して、プラハへと辿り着きます。
なんだかもう語感が素晴らしい。素敵な響き。意味もなく連呼したい。
そんな中世ヨーロッパの街並みが残るチェコ、そして、石畳の道や古城、独特の雰囲気の漂う、「魔法の都」とも「百塔の街」とも称賛されるプラハへ
Let's Go!!
エピソード1 本当にプラハの街を歩いてもよろしいのでしょうか
パラパラと小雨が降ってきた。空はどんよりと厚い雲に覆われている。
地下鉄を出てから続く石畳の道に、僕のスーツケースはゴロゴロと鈍い音を立てている。
そんな中、予約したホテルを探し、さ迷い始める。
だけどーー。
目の前に広がる世界に、プラハの街並みに、わあ、と思わず声がこぼれ出た。
遂に来た、と思った。心の底から思った。
ここに来たくて、来たくて、日本でどれほど身を粉にして働いただろう。
本当に僕なんかがプラハの街を歩いてもよろしいのでしょうか、そう誰かに問いたかった。
まるで恋焦がれた少年のように、プラハを前にして束の間、足も時も止まる。
明るい太陽の光が、空に広がった厚い雲を突き抜けて僕たちに降り注ぐ、そんな気さえした。
実際はそんなこともなく、小雨はなおも続いている。
山登りで培った土地勘を存分に活かし、予約したホテルへと辿り着く。
「一生に一度は泊まりたい!贅沢なサービスとゴージャスな内装に酔いしれよう」
なんてガイドブックで紹介されているホテルに、今回泊まるらしい。
え?いいの?
そんなまさにマダムたちへの文章を発見したのはもちろん予約をした後。
ほえぇ、、、そんなに素晴らしいホテルなんだ、と開いた口が塞がらなかったことは言うまでもない。
そんなつもりじゃなかったし、学生の貧乏旅行のはずなのに、なんだか逆にすみませんって気持ちで胸がいっぱいだ。
恐れ多すぎて、腰を極限まで低くして扉をくぐる。ホテルのロビーに足を踏み入れる。
ホテルの外観は歴史を感じる建築で、内装は優雅で美しい。落ち着いた空間が広がり、プラハの街にすっかり溶け込んでいる。
朝食は一流ホテルを感じさせる品揃えにサービスで、温かい紅茶を片手にコーヒーを優雅に飲んでみたりなどをした。
だけどやっぱり、そんな素晴らしいホテルに、ひょろりと背の高い友人と男2人で入ることが、とても場違いなのではなかろうかと思い、終始ドキドキが止まらないのであった。
エピソード2 この街は傑作だ
さて、気を取り直して、旧市街広場へとやって来た。
ここはプラハの中心地であり、教会や宮殿、旧市庁舎など見どころが集中している。
広場のまわりにはプラハの歴史を彩ったあらゆる時代の建築様式が混在し、なんとも美しい。
テクテクと広場を歩きながら、雰囲気溢れるその世界観を体感する。
中でも僕を虜にしたのは、旧市庁舎にある天文時計だ。
す、素晴らしすぎる。
当時の宇宙観(天動説)に基づいた天体の動きと時間を表しているという。
時間を知るために見るのではなく、天文時計そのものの美しさに惹かれて見てしまう、そんな時計だ。
家に持って帰りたいと本気で思った。
大空の下で輝く真昼間の天文時計も、照らされて暗闇に浮かび上がる天文時計も、どちらも素敵だった。
毎時ちょうどに動き出す仕掛けも、なんだか可愛らしかった。
天文時計をしばし眺め、そのまま広場を抜け、旧市街をさらに歩く。
プラハの中央をゆったりと流れるヴルダヴァ川が見えてくる。
そして、その川に架かるプラハ最古の石橋、カレル橋の美しさに思わず見惚れる。
橋を渡った先に広がるオレンジの屋根の家々や壮観なプラハ城の景色と相まって、カレル橋がより素敵に思えてくる。彼(橋)に魅了される。
橋の下を船が行き交い、頭上に広がる青空では白い雲がゆったりと動いている。
僕らは橋の上を、のんびりと歩く。
ここは絶好のフォトスポットだ。カレル橋で、友人に写真を撮ってもらう。
この旅で何度も写真を撮ってもらいるので、彼は慣れた手つきだ。
僕を適当に写真の中に収め、角度も遠近も考えず、彼は突っ立ったまま何回も、何十回も、パシャパシャしてくれる。
僕が何度も写真をせがむものだから面倒くさくなって、まるで軽くあしらわれているかのようだ。
そんな心のこもらない奴が撮る写真だから、どの写真の僕も、なんだかヘンテコな表情をしている。笑えてくる。
だから僕もお返しに、彼のヘンテコな表情をたくさん写真に収めてあげる。
だけど彼はそんな「なんて顔してんだ」というような写真を、驚くことなかれ、嬉しそうにインスタにアップしていた。
どうやらこの街に、着飾った被写体など必要ないらしい。
目で、耳で、鼻で、舌で、皮膚で感じる、ありのままのプラハに、その世界観に、僕らはただただ夢中だった。それだけで満足だったのだ。
どんな僕らも、プラハの街並みの前では、あまりにも小さすぎる存在だった。
ここには、この街には、これまで出会ったことのない傑作ともいえる、美しすぎる世界が待っている。
その世界では誰も僕らを拒絶しない。ただ生きたいように、素直に一日一日を謳歌すればいい。
エピソード3 オーケストラとチーズフライ
プラハでは、毎夜毎夜、通い詰めるかのように僕らはある場所へと出掛けた。
それは、コンサートホールであり、教会である。しんと静まり返る中、オーケストラの演奏を聴き、堪能した。
コンサートホールはアールヌーヴォー様式の内装が美しく、上品な雰囲気が漂っていた。その空間に存在できるだけでも、僕はもはや幸せを感じた。
さすが、「プラハの春」国際音楽祭の幕開けが行われるスルタナ・ホールなだけあった。
だけど、僕は教会でのコンサートの方が好きだった。
教会特有の厳かな雰囲気、装飾の凝った内装、高い天井に響く音たち、曲が終わるごとに訪れるしんとした静寂、外気温とは異なるひんやりとした冷たさ、それらが相まってまるで異空間かのようだった。
観光で訪れる教会とは違う、素の表情が見えた気がしたのだ。
寝ちゃだめだ、起きろ、なんて不毛なやり取りをする暇もなく、オーケストラの演奏に聴き入っていた。
絶対音感なんて持たないし、リコーダーさえも苦手だったけれど、あの時の演奏や雰囲気は、今も僕の五感たちが覚えている。また訪れたいと、本気で思う。
さて、オーケストラの演奏を楽しんだあとは、ディナーを求め街へと繰り出す。
実はチェコ、国民1人あたりのビール消費量が世界一という、ビール愛に溢れた国なのだ。ホスポダと呼ばれるビアホールでは、地元のひとたちが楽しそうにビールを飲んでいる。
僕らは、カレル橋の近くの小洒落たレストランへと入る。ヴルダヴァ川を眺めることができる、素敵な立地にある。
あいにく僕らの席からはほとんどヴルダヴァ川は見えない。けれど、見えるものだけが世界の全てではない!などと豪語し、雰囲気を楽しみながら料理が運ばれてくるのを大人しく待つ。
きた。これ。あ。うまい!
チーズフライ。サクッとした衣に、トロッとしたチーズ。タルタルソースをつけて召し上がれ。
絶品だ。チェコの伝統料理であるらしい。
日本でもチーズフライはあるが、なんといってもチェコのはデカくて濃厚だ。その上にビールを流し込むと、僕はもうさっきのオーケストラのことなど完全に忘れた。申し訳ない。美味しすぎる。
帰国日が近づいてくる気配を感じながらも、プラハの夜を僕は、僕らは、最高に彩ったのだった。
この国に居られる時間を惜しむかのように、レストランを出てからもまた、僕らはプラハの夜道を自由気ままに闊歩した。
エピソード:追憶
目の前の世界を思う存分堪能する、そうやって僕は旅をした。
石畳の道が、時計仕掛けが、ゆったりと流れる川が、ひんやりと冷たい教会が、ビールを嬉しそうに飲む人たちが、静まり帰った夜道が、それら一つひとつが、とにかく最高だった。
街に溶け込みながら、毎日、幸せを感じていた。
これらは、まだまだ寒さが身に堪える、冬のある日のお話だ。
だけど同時に、きっといつになっても色褪せることのない、僕がプラハの街で確かに生きた、数日間の記憶でもある。
(完)
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
もう一度訪れたい!世界で最も美しい湖畔の町ハルシュタットを全力で感じる旅【旅行記】
第4話 ハルシュタットにただいまと言いたい
こんにちは、快斗です!
さて、旅しよう。
美しすぎて、思わず息を呑む世界が広がるところへ。
のんびりとした時が流れ、心の平穏が手に入るところへ。
世界で最も美しい湖畔の町と称される、世界遺産の町ハルシュタットへ。
Let's Go!!
★2020年2月15日16日の旅行記です★
エピソード1 鉄道と船を乗り継いで、いざハルシュタットへ
ドイツのミュンヘンから電車に乗る。山と緑と空気しかないような風景が徐々に増えていく。
ドイツにも田舎はあるんだ、とマヌケな感想を抱きながら、
そりゃそうだよな、となんだか安心しながら、大人しく電車に揺られていたら、
気づけばオーストリアに入っていた。
な、に!?
国境はどこ。国境は?ドイツとオーストリアの境目は?ボーダーは?いつの間に?国境を見せて?
と内心慌てながらも、「もう着くよ」などと事も無げに一緒に旅する友に声をかけ、平然を取り繕ってみる。
それから、オーストリアのザルツブルクで乗り換え、アットナング=プッフハイムというところでも乗り換え、かれこれ4時間ほど揺られた。
ハルシュタットは、なかなか遠かった。まるで田舎の町へ帰省するかのような気持ちだった。だけど、ただいまなんて言おうものなら、世界遺産の街に怒られてしまうだろう。僕にとって、縁もゆかりも何もない土地なのである。
大人しく電車を降りる。
だけどそこには。そこの風景は。
僕は「ただいま」と言いたかった。お願いだから、言わせて欲しかった。
煌々と輝く太陽と、雪が白く積もったヨーロッパアルプス、そして美しきハルシュタット湖が、僕らを迎えてくれていた。
そこから僕らはハルシュタット湖連絡船に乗り込み、対岸のハルシュタットの町へと船で渡る。電車では直接ハルシュタットの町までは行くことはできない。
だけど、電車にしたのには理由があった。それはまさに、船に乗ってハルシュタット全体を見渡したかったから。
僕らは今、船の甲板に出ている。いや、全ての乗客が出ているといっても過言ではない。多少過言な程度だ。
僕らを含め、旅人だらけだ。そしてその多くがヨーロッパの人々。つまり皆、背が高い。
170㎝そこらの僕が素晴らしい景色をみようと奮闘していることには誰も気づかないようだ。
最前列参戦でないのが辛い。
残念なことに、いや、決して残念ではないのだが、共感できる仲間がいないという点においてのみとても残念なのだが、一緒に旅している友人は185㎝を超えている。
チラッと様子を伺ってみる。特に困った様子ではない。
ふむ。やはりそうか。
僕はこっそり、背伸びをした。
世界が、グッと、近くなる。
徐々に近づくハルシュタットの町と、遠ざかっていく鉄道駅。湖の上で、雄大なアルプスを眺め、新鮮な空気を目一杯吸って、大自然を感じる。満喫する。
ハルシュタットはもう、ここだ。
エピソード2 ハルシュタットの町を歩く
さて、町を歩く。本当に小さな町みたいだ。端から端までを簡単に歩くことができる。
ハルシュタットのメインストリート沿いには、小洒落た可愛らしい家々が並んでいた。
お土産屋やカフェ、レストランなどが立ち並んでいる。
建物の色がピンクにオレンジ、黄色とカラフルで、おとぎ話に出てきそうとはまさにこのことだ。
ハルシュタットの「ハル」はケルト語で「塩」を指し、ハルシュタットは「塩の町」という意味。世界最古といわれる岩塩抗があり、ハルシュタット塩抗も観光地として有名。
そうした情報を頭に入れてしまっているもんだから、ついついお土産の塩に目がいく。
塩だ。塩。塩がある。また塩。ここにも塩。あ、塩。
どこでも売っている。
仕方ないので、買ってみる。岩塩だ。僕の心は落ち着く。
だけど、友人は塩を買っている様子が全く見受けられない。どうしたものか。買わなくていいのか。
その頃、彼は積み木のようなものに夢中になっていた。必死に積み木を選んでいる。
ふむ。岩塩の素晴らしさを共感、、、なんてことは諦めることにした。
ハルシュタットの町はとても落ち着いていて、こじんまりとしていて、ゆっくりと楽しむことができる。
町の外れまでやって来た。ハルシュタットの町並みと、山々を捉えることができる。
湖の、透明度の高さ。透き通っている。
色とりどりの建物が、雄大な山岳が、水面に綺麗に反射している。
どこまでも、ハルシュタットは美しい。
エピソード3 ハルシュタットで一晩を過ごす
ハルシュタットは小さな町だ。数時間あれば、全てを見て回れるだろう。ハルシュタットを短時間で堪能し、その後、ウィーンへ行くのも、ザルツブルクに戻るのも、新たな都市に向かうのも、旅人の自由だ。効率の良いヨーロッパ旅行が実現できるだろう。
だけど、僕らは違う。どこへも行かない。
とりあえず今日だけは、ハルシュタットを全力で感じてみることにした。
ハルシュタットに一泊するという選択肢を、あえてとってみた。
などと強気で慢心していたものだから、僕らは大変な事態に陥ってしまった。
夕食にありつけない、のである。
夕方の6時だというのに、どこのレストランも営業していない。閉店している。
開いていても、満席であるか、飲み物だけだと言われるかである。
町はずれにある唯一のスーパーも、すでに閉店している。
思えば、昼ご飯は何も食べていない。僕らはもう、ペコペコだった。
町へ繰り出す際、ホテルの前の露店が一軒営業しているのを確認していた。美味しそうなメニューが並んでいた。
仕方がない、そこで買って、ホテルで食べよう。
僕らは猛スピードで戻る。頼みの綱だ。
「終わった」
「???」
店主は後片付けに夢中であった。
けれど、僕らはめげない。立ち向かう。再度、レストラン探しプロジェクトを開始する。夕食がハリボーのグミだけは、なんとしても避けなければならない。
僕らの心を明るく照らしてくれるものは、プロジェクト中に発見した、なんとも分からんコレだけである。だけど、僕らにはまるで太陽のように思えた。
暗い夜道を、頑張って歩く。
まだ六時半であることを強調させてほしい。日曜日でもない。おかしいなあ。
2月のオーストリアの夜は、寒い。
震えながら、それでもマフラーの温もりを確かに感じながら、歩く。
「!!!」
僕らのプロジェクトは無事終了した。1時間以上は経過していた。
町の外れ近くのお店が営業していた。かれこれ、ハルシュタットの端から端までを歩いたことになる。
2月の真冬なのに屋外で、頼りないヒーターが一つあるだけで、ブランケットに身を包みながらの夕食で、という状況さえ違えば、せめて屋内のレストランであったならば、僕は美味しくて、満足して、涙が出ていたかもしれない。
だけど、見てほしい。お皿に盛り付けられたケチャップとマヨネーズを。
ケチャップ、マヨネーズ、ケチャップ。
赤白赤。
そう。オーストリアの国旗なのである🇦🇹
なんとも粋な計らいだ。
寒くても、震えていても、僕はもう満足だった。
ハルシュタットを全力で感じることができているのだから。
エピソード:追憶
ハルシュタットはどこまでも最高だった。
小洒落た町並みは歩くだけで楽しく、ハルシュタット湖は見るものを魅了する。
雪が白く積もったヨーロッパアルプスは迫力があり、雄大な大自然はパワーをくれる。
まさに、絶景を楽しむことができる。
ハルシュタットへの道のりは遠く、簡単には拝むことはできない。
静かに眠っているような町だった。
けれど、存在感は抜群だった。
静かに、だけど力強く、こんなにも輝いている。
ハルシュタットを、もう一度訪れたい。
そして、「ただいま」と言うんだ。
(完)
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
高野秀行『謎のアジア納豆』の読後感が最高すぎる・感想【読書】
第3話 『謎のアジア納豆』は、僕らを豪華で素敵な旅の世界へと誘う
こんにちは、快斗です。
さて、今回もある一冊の本を紹介したいと思います。
『謎のアジア納豆 そして帰ってきた〈日本納豆〉』
という、納豆好きにはたまらないタイトルの一冊です!
おかげで、夜ご飯は納豆と白いご飯が中心となり、パスタやオムライスなどは献立から呆気なく消え去っていきました。
日頃から密かに抱えている納豆愛が爆発した、なんともたまらん一冊。
著者は高野秀行さんという、ノンフィクション作家。
学生時代は早稲田大学の探検部で、その頃からの好奇心や探求心がたんまり詰まった物語の数々に、いつもいつも魅了されています。
その中でも、つい先日文庫化された新刊『謎のアジア納豆 そして帰ってきた〈日本納豆〉』をおススメします!!
それでは早速、物語の世界へLet's go!!
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≪あらすじ≫
ミャンマー奥地で遭遇した、納豆卵かけご飯。日本以外にも納豆を食べる民族が存在することをそのとき知った。そして著者は探求の旅に出る。ネパールでは美少女に導かれ、湖南省で味噌との関係に苦悩。東北秋田で起源について考える。”手前納豆”を誇る人びと。夢中で食べた絶品料理。愛する食材を追いかけるうちに、アジア史までもが見えてきた。美味しくて壮大な、納豆をめぐる冒険の記。
(「BOOK」データベースより)
エピソード1 納豆のことを知り、想像する
1 読み応えがありすぎる
「あとあれ、ナットウ!好き!」
「え~本当に?日本人でも嫌いな人結構おるで」
「はい、ナットウ美味しい」
なんて会話を僕はしたことがある。
ウズベク人の友人は、日本で食べた納豆が好きだという。
その時の僕は、ヘヘンという気持ちだった。
日本の食べ物を気に入ってもらえて嬉しいと、誇らしいと、そう思っていた。
だって納豆は、日本の食べ物だから。
突如、フフン、と僕の声ではない薄ら笑いが聞こえてきた。
「納豆は日本以外のアジアでも食べられているんだぜ」
完全にそう聞こえた。間違いない。絶対にそう言った。
その呟きは、見事に僕の興味関心をまっすぐ射抜いたのだ。
『謎のアジア納豆 そして帰ってきた〈日本納豆〉』
この一冊が、いや、厳密にいえば新刊コーナーに積まれた20冊ぐらいのそれらが、一斉に僕を見ていた。
そして僕は結局、不本意ながら、まんまと、でもどこかわくわくしながら、それらの中から一冊を家に連れて帰ることになった。
フフン、とアイツの笑い声が今にも聞こえてきそうである。
だけどこれだけは言わせてほしい。
読み応えがありすぎる。知識量が半端ない。
だから心の底から満足する、そんな一冊である、と。
読書体験としてこれほどまでの満足感を得られるのは、とても貴重なことだ。
そして、それはとても嬉しいことなのだ!
2 納豆のあれこれが面白すぎる
物語はアジアでの納豆探しから始まり、アジアの納豆と日本の納豆の起源に迫っていく。
現地で納豆作りを体験したり、納豆料理を味わったり、日本でも納豆を作ってみたり、それはもう納豆三昧の日々が描かれている。
だけど、それが、物凄く面白い。気になる。好奇心が刺激される。
それぞれの国や地域での納豆の作り方や食べ方。
納豆そのものの存在意義や食文化との絡み。
納豆の起源に納豆汁という文化。
江戸時代の川柳や俳句に登場する納豆と現在の日本の納豆。
何も知らなかった。
納豆が日本以外の国でも普通に食べられていることでさえ、知らなかったのだ。
日頃から好き好んで食べまくっていた納豆について、僕は無知だったのだ。
知れば知るほど、納豆の一粒一粒を抱きしめてあげたくなる、とはさすがに思わないが、納豆のことが分かっていく。
どんどん解けていく納豆にまつわる多くの謎、同時に、繋がっていく数々の事実に、歓喜と驚愕とが入り混ざる。
それがずっと続いていく。
読後、しばらく納豆のことを考えている自分がいた。
好奇心と探求心が、この一冊によって刺激され、完全に満たされた証拠だった。
3 納豆に会いたくなる
そしてもう一つ。この一冊は、僕らにただ知識をくれるだけではない。
それを通して、行動することを迫るのだ。
まず早速納豆を食べてみる。スーパーに行って納豆コーナーに長居するようになる。
アジア納豆を想像してみる。硬さ、粘り気、色、におい、味など、気持ち悪いまでに想像する。そして結局は、食べてみたいと願う。
タイやミャンマー、ラオス、ブータン、インド、中国などを訪れたときには、市場で納豆を見つけて食べてみたい!絶対に!
つまるところ、この本には続きがある。
それは、自らで旅して冒険して、未知の納豆に実際に出会うことなのだ。
だから、読んでおしまい、はもったいない。いや、読んでおしまい、にはさせたくはない。意地でも。
だって、本の続きを実際に自分で体験できるのは、豪華で素敵なことじゃないか。
だから僕は、食べたことのない見たことのない、アジアに確かに存在する納豆にいつか会いに行く。
納豆に会いに行く、、、言葉にするととんでもなく恥ずかしくて間抜けだ。スーパーでは満足できなくなった自分がただただ恨めしい。
つまり、納豆を入り口にこの本と出会い、そしてその世界へと飛び出していく。
それはまさに読書体験の魅力だと思う。
きっと、納豆が好きだったらなおさら、嫌いでも少しだけは、そんな素晴らしい感情を、この一冊から手に入れられるはずである。そう信じている。
エピソード2 そこに生きている人々のことを知り、想像する
もう一つ魅力がある。
むしろこれが最大の面白さであるとも感じるが、
納豆を超えて、国や地域の文化、伝統、人々の生き方、生活スタイルに出会えることだ。
納豆の作り方や食べ方を通して、その地域の気候や慣習が分かる。
生活に強く根付いている納豆から、そこで生きている人々の考え方を少し覗くことができる。
納豆にまつわるあれこれが、異文化理解につながる。大袈裟だけど、現地での暮らしが想像でき、想いを馳せることができる。
つまり、まさに、この一冊は旅をしているかのような気分にさせてくれるのだ。
主役はあくまでも納豆だが、それは絶対なのだが、そこに広がっている未知の世界に、心は躍る。
こんな生活をしているんだ、こんな料理を食べているんだ、こんな格好をしているんだ、こんな風景が広がっているんだ、こんな、こんな、こんな・・・・・・!
行ってみたい。訪れたい。
納豆を通して文化や伝統に触れながら、文章や写真で人々の生活を想像しながら、そんな願望が満たされ、同時に大きく膨らんでゆく。
ああ、旅だ。これはまさに旅だ。
『謎のアジア納豆 そして帰ってきた〈日本納豆〉』はまさに、
僕らを旅の世界へと誘うに違いない。
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つまるところ、読後感が最高すぎる一冊なのだ。
(完)
第3話、高野秀行さんの『謎のアジア納豆 そして帰ってきた〈日本納豆〉』でした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
ぜひ、納豆を通して旅に出掛けてみてください。
辻村深月さんの『ツナグ』は傑作だ!【読書】
第2話 なんだこれは!『ツナグ』は傑作だ!
こんにちは、快斗です。
今回は、小説を紹介したいと思います!
辻村深月さんの『ツナグ』と『ツナグ 想い人の心得』
です。
それでは早速、物語の世界へLet's go!!
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≪あらすじ:ツナグ≫
一生に一度だけ、死者との再会を叶えてくれるという「使者(ツナグ)」。突然死したアイドルが心の支えだったOL、年老いた母に癌告知出来なかった頑固な息子、親友に抱いた嫉妬心に苛まれる女子高生、失踪した婚約者を待ち続ける会社員・・・・・・ツナグの仲介のもと再会した生者と死者。それぞれの想いをかかえた一夜の邂逅は、何をもたらすのだろうか。心の隅々に染み入る感動の連作長編小説。
(「BOOK」データベースより)
エピソード1
僕は『ツナグ』を読むのは2回目であった。ずいぶん前に一度、読んだことがあった。
そして、驚いたのである。
あの時感じた気持ちと、今回感じた気持ちが、全く違っていたから。
以前読んだときには、全く心が動かなかった。面白いとさえ、思わなかった。
「『ツナグ』映画化するんだ?へぇー、そんなに面白かったけ」などと、酷評しそうな勢いであった自分を、今は大変恥じている。
以前の感情を全て否定し、何が面白いのか分からないと考えていた自分をどっか遠くの隅に追いやって、そして、
「なんだこれは!辻村深月の傑作だ!」
と僕は今、真面目に思っている。
以前、友人にツナグの感想を聞かれ、「うーん、、、」と返事をしてしまったことを瞬時に思い出し、すぐに謝罪のラインを送ったほどである。
「とんだ勘違いをしていた。あれは傑作だった」
以前の僕はきっと、人生についてあまり多くを考えていなかったのだと思う。
生者として毎日を生きているだけで、満足だったから。それだけで楽しかったから。
あの頃の僕は、中学生だったのだ。
あれから10年ほどが経ち、もう一度『ツナグ』を手に取って読んだ今の僕は、あの頃の僕とは違っている。
生きてきたのだ。まだまだ足りないけれど、生きる、ということを積み上げ、人生と向き合ってきたのだ。
だから、以前の僕よりは、生と死が少しだけ分かるようになってきているのだと思う。
少しだけ上手に、捉えることができるようになってきているのだ、と。
そして無意識のように思う。
あぁ、きっとまた10年後、さらには20年後、50年後、『ツナグ』を再読するたびに
「これは傑作だ!なんて素晴らしいんだ!」
と感じるのだろう、と。その気持ちがますます、強くなっていくのだろう、と。
『ツナグ』は今の僕にとっても、これからの僕にとっても、傑作であり続けるのだと思う。
エピソード2
生者が死者に会うことができる。再び、もう一度、死者に会うことができる。
だけど、それは両者にとってたった一度だけの機会である。
会えるのは一度だけで、誰かと会ってしまえば、その人とはもちろん他の人とももう会うことはできない。そしてそれは死者にとっても同じこと。
いわゆる『相思相愛』の状態ならば、両者は会うことができるだろう。そういった状態でなくとも、会うことができる可能性はもちろんある。
このルールが、何よりも物語を深めるのだと僕は思っている。
使者に縋る生者の姿に、その人の人生を感じる。
生者が死者に会えるのは特別だから、偶然なめぐり逢いであるから、ある程度の不確実性に身をまかせながらもツナグに依頼する生者は、本気で夢中で、そして想いは熱くて切実だからである。
恥ずかしさも、カッコ悪さも、そこにはない。
あるのは、その人に対する並々ならぬ想い、だけだ。
不甲斐ない自分も、正直になれない自分も、何かを信じられない自分も、だけどきっと大丈夫なのだと、優しく包み込んでくれる物語のように思う。
僕ら生者は、これからも生きていかねばならない。
そのための一押しを、きっかけを、くれるかのようである。
もっといえば、あなたは生きていても良いと、いや、生きていなさいとまで言ってくれているかのような物語だ。
そんな強いメッセージが、僕のもとには届いた。
エピソード3
『ツナグ 想い人の心得』は、『ツナグ』から7年後の世界を描いている。使者としての務めを長年果たしてきた最愛の祖母から、その役目を引き継いだ歩美が、ツナグとして生者と死者を繋いでいく。
『ツナグ 想い人の心得』という、『ツナグ』の続編を読んではじめて『ツナグ』という物語が完結したように思う。
数年の時を経て、繋がっていく人や物事の数々に、思わず落涙してしまう。
『ツナグ 想い人の心得』の方が、僕は大好きである。
読み終えた後、同じ時間の中に存在できることを、僕は何よりも誇りに感じた。
何年、何十年と時が違えば出会えなかった人がたくさんいる。
だからこそ、今という同じ時間の中で生きれていることに、深く感動したのである。
生きることに素直に愚直に向き合う、素敵な物語の数々に出会え、僕はとっても満足だ。
この物語がどうか、心に響きますように。
そして何よりも、この物語と出会えますように。
(完)
第2話、辻村深月さんの『ツナグ』でした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
『ツナグ』そして『ツナグ 想い人の心得』もぜひ小説で読んでみてください。
シンガポールから行く南国リゾート、ビンタン島での素敵な休暇【旅行記】
第1話 ビンタン島はきっとずっとそばにある
こんにちは、快斗です!
今回は、ビンタン島での優雅で贅沢で素敵な休暇をお届けします。
歩いた国は、インドネシア共和国です。
見ての通りインドネシアはたくさんの島々 からなっており、その一つにビンタン島はあります。
インドネシアの首都はジャカルタですが、実は、ビンタン島に行くにはジャカルタからではなく、シンガポールから行くほうが断然近いんです!
そのため、シンガポールでマーライオンやUSS(ユニバーサル・スタジオ・シンガポール)、ショッピングなどを堪能し、そして、リゾート地ビンタン島でのんびり羽を休める計画を立てました。
え、近い。てかシンガポールよりもビンタン島の方がデカいやん。え。
それでは早速、ビンタン島へLet's go~!!
エピソード1:シンとビンの仁義なき闘い
僕らは航空券で日程を確認する。今回は3人旅だ。
2019年10月2日~7日。
2日の午前中に日本を出発し、2日の夜にシンガポールに到着。帰国便はシンガポール時間で6日の夜。機内で一泊し、日本時間7日の午前中に札幌に到着する。
実際に現地でホテル泊が必要なのは4泊だ。ふむ。皆で確認し合う。
さて、
「シンガポールに4泊する?他どっか行きたくね?」
とは誰が言い出したものか、おかげで僕らの旅ははやくも暗礁に乗り上げることとなってしまった。
旅の相棒『地球の歩き方 シンガポール』をめくる手が速くなる。倍速になる。他ってどこだ?
「あ、あった。ここだ。ビンタン島!」
シンガポールから高速船で約50分。インドネシア領の島。アジア有数のリゾート地。海や自然を満喫できる。
もしかしたら、僕の先祖はヴァスコ・ダ・ガマだったのかもしれない、とは決して思わなかったが、嬉しい発見であった。
「「あり」」
はやくも閣議決定され、話題は旅の日程に移る。シンガポールに到着するのは夜。初日はシンガポールで宿泊することが前提だ。
「シン、シン、シン、ビンは?」
「え?」
「初日はシンガポール泊、2日目もシンガポール泊、3日目もシンガポール泊、最終日にビンタン島泊。つまりシンシンシンビン」
「なるほど。シンビンシンシンは?」
シンシンビンシン、シンビンビンシン・・・・・・。頭の中でシンとビンがせめぎ合う。彼らにどんどん支配されていく。
「あ、分かった。シンビンシンビンは?」
「「絶対なし。非効率。意味が分からん。無理」」
僕の案は呆気なくけちょんけちょんにされてしまう。
そして、シンガポールとビンタン島の間で様々な調整が行われ(メインはシンガポールにコナン、いきなりビンタン島でバカンスしたい、高速船の時刻表はコレだから、などなど)
最終的に、シンビンシンシン と決まる。
シンとビンなどと軽々しく略したことを世間に詫び、その後、僕らは順調に計画を立てたのである。
つまるところ、僕とビンタン島の出会いはまさに偶然であった。
ここに行きたい、あそこに行こう、から始まる旅が素敵なように、どことも分からない、偶然目に付いた場所を本気で訪れることも、僕には素敵なことのように思えた。
そしてそれを、同じくらい楽しんでくれる仲間がいることも、僕をさらに笑顔にさせた。
予期せぬ出会いは、僕の心を躍らす。
エピソード2:アンモンは僕らの希望、そして世界はあまりにも素敵すぎる
アンモン!?!? す、凄い!!!!
僕らの泊まるホテル、というかグランピング(ラグジュアリーなキャンプ)なのだが、目の前に現れた光景に僕らのテンションは頂点に達する。
南国特有のむわっとした暑さを感じながら、けれど目の前には白を基調としたお洒落な三角屋根のテントがいくつも並び、なんと海ではないか、と思うほど大きなプライベートビーチは太陽に照らされて輝き、スタッフの人たちは皆、超がつくほどの笑顔だ。
僕らは皆、ビンタン島に2泊すれば良かったと思ったに違いない。シンビンビンシンが正解だったのかもしれない、と。
シンガポールから約50分。ホテルの無料送迎バスを利用してたどり着いた先には、こんなにも素晴らしい世界が待っていただなんて。
部屋の中も洗練されていた。思ったよりもとっても広い。そして綺麗すぎる。
テント内にはシャワーやトイレ、冷蔵庫やエアコンだってある。ホテルの一室のようだ。
ベッドに寝ころびながら見上げた景色も素敵すぎて、翌朝、ベッドの上でゴロゴロする時間がきちんと設けられることとなる。
早速、僕らはプライベートビーチへと駆け出す。
クリスタル・ラグーンと呼ばれるが、ビンタン島には他にもいくつかのラグーンがあり、もちろん島を囲む海で遊ぶことだってできる。ショッピング施設やゴルフ場、ローカル・マーケットもあるという。
ビーチで水を掛け合って遊び、ランチではインドネシア料理を堪能し、突如訪れたスコールの合間にジェラートを食べ、割ってもらったココナッツジュースを味見し、ビーチに戻ってアトラクションを楽しむと、あっという間に日が暮れそうになっていた。
あまりにも素敵すぎる午後のひと時だった。
僕は海外旅行が好きだし、ビンタン島もアンモンも気に入ったけれど、場所はどこでも良いとさえ思えた。
ビーチの浅瀬に腰掛け、ゆったりと雲の動きを眺め、静かな時を感じる。全てから解放される。
そんな時の流れが、きっと恋しいのだ。好きなのだ。
都会の喧騒から離れ、日常からも距離を置き、僕にとっての異国で、しがらみのない時の流れを全力で感じる。
それが僕にとっての、旅の醍醐味の一つなのだと思う。
そして、それを堪能するのにビンタン島はもってこい、なのである。
先ほどまで全力で輝いていた太陽が、傾いている。ゆっくりと、だけど確実に、今日の役目を終えようとしている。瞬く間に、黄色からオレンジに、そして赤く、光る。空が、さらに青く、赤くなる。綺麗な夕焼けが、僕らを包み込む。
僕はこれからも頑張れるだろう。きっと、大丈夫なのだろう。
この世界は、きっとあまりにも素敵すぎるのだ。
エピソード3:サルは何も知らない
夜の散歩も、初めてのグランピングも、寝坊も、朝食も、僕らはしっかりと堪能した。
そして、翌日、僕らはマングローブへと出掛けた。
樹林の中を小型の船は進んでゆく。両岸に生い茂る木々は濁った水面に色濃い影を落とし、輝くような葉の緑と空の青さが僕らを覆う。ただならぬ静けさが辺りを包み込む。
植物や動物の住処に足を踏み入れてしまったと、僕は畏敬にも似た気持ちを感じた。
途中、マングローブの中を歩くことのできる人工的な細い橋で降ろされ、僕らの船は行ってしまった。
橋を歩いた先で待っていると言うが、もしものことを考えないこともない。もしものことが起これば、僕らはビンタン島の、どことも分からないマングローブの中で、これからを生きることになるのだ。そして僕の手には、朝起きたときにはすでに、全く動かず、どうも壊れてしまったただのガラクタ、スマホがあるだけだった。
果たして、僕らは無事合流することができた。
帰り道にはサルがひょっこりと現れ、仲間がパシャパシャと写真を撮っている間、なぜ僕のスマホは壊れてしまったのか、と考えながらサルを見つめていた。サルは、何も知らないようであった。
ともあれ、マングローブのおかげで自然や地球そのものを、満喫することができたのだ。
そして僕らは、ビンタン島に別れを告げ、次の目的地へと向かったのである。
エピソード:追憶
ビンタン島は僕に贅沢すぎる休暇をくれた。
1年の中でたった2日間の休暇だったかもしれないが、それ以上の、力強い癒しがあった。
あの日を想えば、今日もまた頑張れる気がする。
ビンタン島はいつでも、僕のすぐそばにある。きっとずっと、これからもそうなのである。
(完)
第1話ビンタン島でした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
世界を歩くという野望と筆者についてのあれこれ
序章:世界地図を手にしたときの男の野望
こんにちは!初めまして!
ブログ始めました、快斗です。
この世界を、小説と旅で歩きたいと思います!
歩いた記録を、快斗の物語、すなわち『快物語』として書いていきます。
◇旅
旅が大好きなんです。
僕が旅した国や地域でのエピソードを書きたいと思います。
旅先での不思議な出会い、言葉を失うほどの絶景、はたまた仰天するトラブル、などなど文章と写真で紹介します。
きっとその国や地域に惹かれるはずです!
◇小説
小説が大好きなんです。
これまで読んだ小説の中から、世界各地を舞台とした物語を紹介します。
日本が舞台の小説も紹介します。
思わずその国を訪れたような、その国を旅したくなるような、そんな小説です。
きっと本屋さんに走るはずです!(笑)
少しずつだけれど、この世界を歩けたらいいなあと思っています。
本当は自分の足で歩きたいけど、でも、物語にもその世界へ誘うような、引き込むような、そんな魅力があると思っています!
物語で魅了されてその国を訪れるのも、素敵なことだと思います。
現に、僕は映画ですが「名探偵コナン 紺青の拳」を見て、シンガポールに行きました。
あ、これ!ここ!ここだ!オオ!!
なんてことをしたのも、凄く楽しい旅のひとつでした。
そんな出会いもお届けできれば、と思っています。
ということで、これから『快物語』を読んでいただければ嬉しいです!!
世界地図を全て塗るまで、物語は終わらない予定です。
では、ここからは筆者の自己紹介をします。
卒業式は心の中で、入社式も心の中で、咲き誇る桜は去年の写真で、エイプリルフールはいつになく誠実で、靴下の出番は急減し、飲み会だけはオンライン上で平常通り実施されている、そんな現時点での僕です。
◇自己紹介
生まれは別府、育ちも別府、何を思ったのか大学は北海道。
すぐ慣れるだろうとの言葉は嘘のように、4年間の極寒生活を耐え忍びながら無事終了し、やっぱり九州がいい、とは思ったものの、北海道を離れればそれはそれで少しだけ寂しい。
サラリーマン1年目として無事日本を南下中。
読書好きは小学生の頃からで、図書委員長と名の付くものには目がなかったが、高校では何を思ったのか急に登山を始め、図書委員長の称号は得られずじまい。
とはいえ、辻村深月さん、湊かなえさん、朝井リョウさんをこよなく愛す。
サイン会にぜひ行きたいと、日ごろから目を光らせているが、未だ達成ならず。頂きは遠い。
海外旅行が大好きだが、初めて海外に行ったのは大学1年の終わり。
パスポートは青く薄かったが、それでも凄いものを手に入れたと当時大満足した。
そして、これまで16ヵ国を旅し、これほどまでに旅が好きになったのは、ウズベキスタンで過ごした日々があまりにも素敵だったから。
大学生の時に、ウズベキスタンと出会ったことが事の始まり。
どこ?なに?え?はほぼ解消されぬまま、気づけばウズベキスタンに降り立ち、マリオカートのレインボーロードかのような煌びやかな道をぶっ飛ばす車内で、なんだか面白くなって笑ったのはまるで昨日のよう。
別府、札幌に次ぐ第3の故郷としてウズベキスタンに帰りたいと、毎日ではないが時々、ふとした瞬間に思う。
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こんな筆者ですが、どうぞよろしくお願いします!
さて、次回は第1話として旅のエピソードの予定です。
お楽しみに!